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ウルフの経営 先鋭者インタビュー 原薫氏 vol.1

ウルフの経営・先鋭者インタビュー。続いては、長野県松本市で株式会社柳沢林業の代表を務める、原薫さんにお話をお聞きしました。柳沢林業が拠点にする長野県では、人工林の約半分をカラマツが占めています。漢字で「落葉松」と書く名の通り、日本の針葉樹の中で、カラマツはただ一つの落葉性の高木(こうぼく)と言われます。また、イチョウを除く針葉樹の中で、唯一の落葉性で、落葉松がある森では、四季折々の彩りの風景を見ることができます。「信州・松本平の豊かな風景をつくる」をコーポレートメッセージに掲げ、カラマツやアカマツに囲まれた信州松本にて林業を営む株式会社柳沢林業。その代表を務める原さんですが、ご出身は神奈川県川崎市という都会っ子。そんな原代表へ「森が好きになった原体験(好き×憤り)」、「事業継承で変えたところ、変えなかったところ」「仕事と暮らしへの価値観」この3つについてお話をお聞きしました。

 

株式会社柳沢林業 代表取締役。社員の可能性を引き出すことが、山の可能性につながると信じて事業展開を探る。(一社)ソマミチ代表。木を使う社会の仕組みづくりを通した、個人の自立、地域の自立を目指して活動中。

 

都会育ちの原代表が、山を好きになった原体験(きっかけ)は何ですか?

原代表:

私の出身地 (神奈川県川崎市)のあたりには、緑なんて全くありませんでした。ただ、祖父が住む家の周りには、古い保存樹が残っていて欅の木があったり、その近くの田んぼでおたまじゃくし取ったり、男の子と一緒になって遊んでいた記憶はわずかにあります。そうは言っても自然の中で遊んだ経験は少ない方だと思います。しかも、山登りは大嫌いな子供でした。学校の遠足で連れていかれる高尾山の登山とか、嫌だった記憶しかないです。ただ、自然のことに興味を持ち始めたのが、高校の授業から。父親譲りの正義感も手伝って、地理の先生が話す時事問題の話に興味を惹かれ、その中でも特に環境問題に興味を持つようになりました。どちらかというと最初は環境破壊への憤り、問題意識から自然へ興味を持ちだしたと言うのでしょうか。

そんな頃、進路選択の時期に先生が筑波大学の推薦を持ってきてくれました。小論文とか、文章を書くのは大嫌いだったんですけれど、“受かったら儲けもんだ!”と思って受けてみたら、運よく合格することができました。筑波大学では、農林学類へ進学し、生物化学を専攻しました。実験室にこもって実験をする日々で、今となってはこの頃学んでおいて良かったと思うこともあります。例えば酸性雨とか、土壌微生物のこととか、今の仕事と繋がる部分もありましたね。

そしてその後の進路に大きな変化を与えた出会いは、大学3年生の時でした。必須科目ではなかった「樹木学」を受講して、中村徹先生という面白い先生に出会えました。先生は「その樹木が何に使われてきたか」という多様な樹種の性質と使い方を教えてくれて、植物生理や生態学的なことよりも、その民俗学的な部分が私にとってとても面白かった。“専攻外の方は実習の参加はNGです”と言われたのですが、何とか懇願して連れて行ってもらい、さらにハマっていきました。その時通っていた演習林の職員・遠藤徹さんが声を掛けてくれて、先輩たちと一緒に登山へ通うようになりました。大嫌いだったはずの登山ですが、5~6人で紅葉の美しい秋の山へ出かけて静岡県にある井川 演習林の仲間が出来ました。そして初めて3,000m級の山へ行き、ひとけのない自然の中で、広がる稜線を見た時、「これはもう、もう下界へ降りたくない」と思ったのを覚えています。

 

先代から経営を引き継ぎ、「変えたところ」、「変えなかったところ」を教えて下さい。

原代表:

井川演習林に通うようになった後、森林組合へ就職し、初めは静岡県井川で現場作業の経験を積みました。架線集材の現場等を学んだのも、井川が最初でした。その後、縁あって松本へ移住し、現会長である柳沢英治と出会い、柳沢林業へ就職しました。そして 2013年8月に代表取締役の役職に就き、今年8月(2018年8月)で代表就任5年目となります。

柳沢林業は昭和39年創業(会社設立は平成24年)、現会長である柳沢英治が創業者です。そんな会長のビジネスモデルは「人助け=頼まれたことは断らないこと」、「人間に不可能はないと信じること」、「はたらくとは、傍を楽に、山や人に喜んでもらうこと」。人や山に喜んでもらって、その“感謝”が今の世の中ではお金となって後からついてくるのだと、会長はいつも話します。まさに今のビジネスモデルも、会長の生きざまそのままで、その考え方をそのまま引き継いでいます。自己犠牲にならない範囲、自分達が生きていかれるだけのお金をいただいて、それで継続できていれば、あとは廻りまわって仕事が返ってくると考えています。

会長の代から変えた部分で言えば、時流適応させたことです。例えば会長の言葉を「企業理念」として言葉に明文化したり、ホームページ を作ったことでした。対外的に企業を紹介するためのホームページを作るにあたって、下請けの伐採業を請け負うことに限らず、しいたけ原木出荷や木工、特殊伐採など山林をトータルで活かすサービスを提供する会社であることを表現するように努めました。また、法人化するにあたって、単価を上げたり交渉ごともやりました。とにかく、自分達で価値を高める努力をしたのだと思います。これによって、月給制、週休2日制、そして有休の導入を図るという、現代の企業になるための時流適応はやってきました。価格や制度を変えたことで離れたお客様も実際には1名しかいらっしゃらなかったので、変化させたことは振返ってみても、間違ってはなかったと思いますね。

 

いつも社員のこと、地域のことに想いを巡らせる原代表ですが、「仕事」と「日々の暮らし」の境目はありますか?”理想の暮らし”の価値観をお聞かせください。

原代表:

松本は、便利で都会的なところもありますから、もっと田舎に暮らしたいとも思います。しかし、ここ松本の場所で叶えたい漠然としたビジョンがあるので、それが実現するまでは松本にいなければならないと考えています。

仕事と暮らしの2つについては、その境目がないような状況です。例えば、岡田地区(松本市内)で やっているような、里山と人を繋げる活動は、そのものが地域活動であり、結果的に仕事にも繋がるのでしょう。仕事とプライベートの境はありませんね。地域活動と言えば、会長の出身地区で獅子神楽で笛の吹き手を担っております。農業についても今年度から着手していくところです。柳沢林業では「山と馬プロジェクト」と題して、馬のヤマトを飼っています。元々ばんえい競馬で活躍したヤマトは現在、山から木を出してくる馬搬のトレーニング中。ヤマトは神馬となり、人と山との関係性を繋いでくれる象徴になると実感しています。そんなヤマト と共に、里山や農業と関わる暮らしを作っていかれればと思っています。

 

原代表はこのように、樹木学 の授業を通じて「その木が何に使われてきたか」を知り、山の世界へ惹きこまれていったのですね。そんな原代表の元には、山の恵みに感謝し、どう活かそうか?と工夫を凝らすメンバーが集まっています。山で採ってきた植物を生けたり、木工をしたり、絵を描いたり・・・「信州・松本平の風景をつくる」をコーポレートメッセージに掲げる企業には、まるでアーティストのようなメンバーが集まっています。そんな風に企業の理念、メッセージを文章に明文化したことによって、何か変化はありましたか?次回のインタビューで、詳しくお聞きしたいと思います。


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