ウルフの経営 先鋭者インタビュー 藤川豊文氏 vol.1

株式会社山共の田口社長からお話を伺ってきた、ウルフの経営・先鋭者インタビュー。続いては、高知県本山町で事業を行う、有限会社藤川工務店の代表取締役・藤川豊文社長の元を訪ねました。本山町も東白川村と同じく、日本一美しい村連合に選出された、日本の原風景が残る地域です。位置的には、四国地方のちょうど真ん中。本山町の象徴的な山は、白髪山で、室町時代にはここから天然ヒノキが伐採され、筏流しで搬出された木材は大阪城の築城に使われています。

藤川家は明治初期に香川県五色台地方から、ここ本山町へ移り住み、工務店業を続けてきたご一家でした。豊文社長にとっての曾祖父が、大工仕事を始め創業から数えると100年以上の家業。この家業の代表を務めると共に、平成22年には地域で「ばうむ合同会社」を立上げ、木工製品や焼酎の製造加工・販売まで展開され、「ここで学びたい、この地域で働きたい」と藤川社長の元へ多くのIターン者が集まっています。

家業の継承、そして地元商工会の青年部から始まった合同会社の経営には、どんなストーリーがあったのでしょうか?藤川社長へのインタビュー初回では「藤川社長の情熱の根源」、「事業継承で変えたところ、変えなかったところ」「仕事と暮らしへの価値観」この3つについてお話をお聞きしました。

(有)藤川工務店 代表取締役。2010年に、一次産業者と連携し、地域資源を活用する為にばうむ合同会社を起業、自然と共存できる町づくりを理念に、木材・農産品の製造・販売を展開。林業者と連携した6次産業化ビジネスを立上げ中。

藤川社長にとって情熱の根源となる「好き×憤り」は何ですか?

藤川社長:

好きなことで言えば、物心ついた時から家業が面白い、格好良いと感じていました。実家の真ん前に大工さん達の木工場があって、そこで作業を教えてもらったり、将棋を指して遊んでもらったり、職人さん達に囲まれて育つ間に、大工さんが格好良い!と憧れるようになりました。しかし中学を卒業する頃、卒業後はそのまま大工になりたいと父親へ相談したら、「高校くらいは出とけ」と言われ、進学することに。その頃、地元のことは、好きが半分。当然都会への憧れもありましたから、大工をしないならば、本山へ居なくてもいいなと思って、高知市内の建築学科がある学校へ行かせてもらいました。いかに本山町から逃げろうかと(笑)。次に 高知へ出たら、そこは東京への憧れが強かったので、次はいかに四国から離れて就職先を探そうかと調べたら、横浜へ就職することになりました。横浜で宅地開発、ビルの建設などの仕事を経験した後に家業へUターンしました。

憤りで言えば、家業、そして本山へ戻ってきた時、目上の商売人が行政に依存し過ぎている雰囲気に対する憤りを感じましたね。「行政が何もしてくれないから儲けられん!」と愚痴り合っている雰囲気に、横浜へ居た頃と大きな違い、そして憤りを抱きました。横浜ではバブル期の民間企業の仕事を学んで、そのノウハウを田舎の家業へ持って帰ってきたら、Uターン2年目くらいで、創業以来の最高売上を出してしまって、田舎で家業を継ぐことに対しては、「これは出来るな」とナメた気持ちもあったのかもしれません。一方で、自分の地域を盛り上げること、地元の商工業者の気持ちを奮い立たせるために何をしたら良いのか、その術は分からず何もできずに悶々としたまま7年もの時間が過ぎてしまいました。

転機となったのは、一つの商工会の機関紙でした。機関紙を通じて、産地材を使った学習机を作るプロジェクトを知り、「これだ!」と確信して、地元商工会青年部メンバーへ声を掛けて木工部を作りました。これならば、地元の子供たちに自然のこと、地域の仕事のことについて、学ぶ機会を作られる。さらに、木工加工としてのビジネスも作られる。せっかくならば、次世代を担う若い人にと思って、商工会の青年部に声を掛けて始まったのが、平成22年設立のばうむ合同会社です。ばうむを立ち上げた時、メンバーへ口酸っぱく伝えたのは、「行政のせいにするような、行政批判だけはどんな場所でも絶対するなよ!」ということ。行政と民間企業は必ずどこかで協力が欠かせないタイミングがありますが、最初から行政サポートありきで経営を始めないこと。それを愚痴って行政のせいにしないこと。この地域を拠点に、本山町の資源を活かして事業を作ること。その想いを基軸にばうむを立ち上げました。

藤川工務店は、明治期に曾祖父が大工を始めた頃から始まり、棟梁・工務店として会社を設立してこられましたが、先代からの事業継承に当たって「経営で変化させたところ、変えなかったところ」は何ですか?

藤川社長:

家業である藤川工務店の理念は、創業から変わらず「職人さん第一」です。今でも経理で事業を支えてくれている先代(父親)の夢は「本山町に職人集団を作ること」でした。大工さん全員を社会保険に入ってもらっていたのも、先代の頃で言えば先鋭的な雇用形態だったのでしょう。年間270日、仕事がない日でも何とか仕事を作ってくることが、工務店として棟梁を務める私たちの理念として不変です。一方で、先代から変えたところは、ばうむ合同会社を立ち上げたところですね。先代からは常々に「やりたいことをやれ」と言われてきました。よって、家業そのものの理念や経営方針は変えていませんが、家づくり以外にも地域資源を活かした事業を拡げる意味を込めて、合同会社を始めたことが、先代からの変化でした。

商売人は、売ることができればどこでも経営ができる、逃げようと思えば、儲かる土地へ移られる人々です。だからこそ、ここへ定住する意義を探すため、ばうむ合同会社を立ち上げる時に、地域の歴史、自分達のルーツを徹底的に調べました。本山町は、日本人の生活様式が狩猟採集から農耕型へ移行した時代の遺跡「松の木遺跡」が発掘された場所でもあります。縄文時代のピークで26万人くらいだった日本の人口が、縄文後期~弥生時代に掛けて8万人くらいまで激減し、まもなく弥生時代へ移ったと言われるような時代。このように人口が激減した時代の遺跡が見つかるということは、人口減少時代においても、その場所にコミュニティが形成されていたということ。すなわち、吉野川流域の水と山の資源に恵まれた、豊かな土地だったことが、遺跡からも証明されているのではないでしょうか。そんな地域だからこそ再び、「豊かな中山間地域だから実現できる暮らし」というものを表現してみたいですね。家業に加えて、この本山という地域に定住する意義を見つめ直したことが、ばうむを始めたことによる変化の一つと思います。 

藤川社長が考える、仕事と暮らしへの価値観をお聞かせください。

藤川社長:

価値観の形成に大きな影響を受けたのは、24歳の頃に読んだ本「木に学べ(著者:西岡常一)」でした。西岡棟梁は法隆寺専属の宮大工で、木や建築に関わる業界の方は、彼の本・言葉に影響を受けている人も多いのではないでしょうか。西岡棟梁の言葉を知ってから、金を稼ぐことよりも、次世代へどう繋ぐかということについて、考えるようになりました。そして、自分達の地域で、山を活かし、木に学ぶことは何だろう?と、自然に目を向けるようになりました。

ばうむの発足後、最初に学習机を納品した子供たちは、半分以上本山町へ残ってくれています。それが全て自分たちの影響である!とまで断言できませんが、ここへ住まう理由の一助になれていればと思いますね。本山町は街が一か所に集まったコンパクトシティです。人が集まって住んでいて、お客さんが来ると一緒に行けるような居酒屋さんに恵まれているのも嬉しい。立ち寄れば皆、顔見知りですし(笑)。一度都会へ出たこと、Uターンしてもう一度、田舎を見つめ直すことで、より田舎が好きになりましたし、ホームベースはここやなと、理解できました。自分の気持ちとしてはもっと精神的に鎖国して、本山町へ人に来てもらう状態を作りたいと考えています。

そのために、東京や大阪は、地域のアンテナショップ、発信拠点。たまに都会へ行ったり来たりしながら、情報とパワーをもらっています。昔は販売やイベント関係でもっと出ていましたが、今は社員が出てくれるようになったので、基本的に、本山町へ来てくれた方に対応する役回りへ徹しています。本山町に居ながら、週の半分以上は町外から来られたお客様に対応してます。去年くらいから本山町へいる比率を増やしたら、本山町へ会いに来てくれる人が増えたので、もっと町内に引きこもって、わざわざ本山町へ来てもらう回数を増やしたいですね。

家業を継承しながら、商工会若手メンバーに声を掛けて、地域資源を活かす合同会社を作った、まさに「地域の名士」の一員として、その理念や情熱の源泉となる想いをお聞かせいただきました。次回のコラムでは、ばうむ合同会社を設立し、理念の旗を掲げることで生まれた新たな変化について、インタビュー内容をお届けします。引き続き、更新をお待ちください!


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